fc2ブログ

十牛図

 牛年ですので、今年の私の年賀状は『十牛図』の第六番目の画像を使いました。
ただ、前回の記事からもおわかりのように、ここしばらくテンションが激低ですので、まだお年賀を送っていない方々も沢山おられ、すみませんです。
 『十牛図』は、禅の悟りに至る道筋を、牛(悟り)と牧童(修行者)に喩え、十枚の絵画で象徴的に描いたものです。本来は解説の文章も無く、絵だけであったと聞きます。まさに視覚による思想書ですね。「十牛図」と検索サイト等で調べると、様々な十牛図の解釈サイトがあるのですが、重要部分の解釈がそれぞれ微妙に異なるので、私からの良いお勧めサイトは無いのですが、それぞれを見比べるだけでも何かしらイメージは掴めると思います。
 この十枚の画像で、最も不思議なのは、最後の十枚目の「入鄽垂手」(にってんすいしゅ)です。突然、謎の布袋様が出てきます。私が読んだ本では、布袋様は牧童(修行者)の生まれ変わりで、ふたたび街へ出て、衆生を救ったり教えたりするとありました。
 例えば、八枚目の空白の図は、「空」で「あっ、死んだんだな」とか「色即是空」を思わせ。九枚目の草木の図は、「色」で「やっぱり、死んだんだな」とか「空即是色」を思わせ安心するのですが、十枚目はちょっとした不安さえ覚えます。「え~、また生まれ変わるの~?」笑。静かにそっと死なせてよ…みたいな…笑。私は生まれ変わりたくはないですね… 八枚目の「空」になるか、せめて九枚目の図のように草木になって居る方がよっぽどマシです。もう勘弁です。
 でも、大乗仏教はそうではないのですね。救いにくるんですよ。この穢土に。
いや、すごい。
 布袋様は亡くなる時、すばらしい歌を残しています。

弥勒、真に弥勒 分身千百億 
時々に時人に示せども
時人自ら識らず

 弥勒は釈迦入滅後、56億7千万年後に末法の世を救いに来るらしいけど、弥勒は、現に私にもあなたにも万物におわしますということなんです。時々、そのお姿を見せはするけれど、世の中の人はなかなかそれに気付いてくれないということですね。
 仏教では、気付かれなくて全然OK。むしろ気付かれる方が良くないとするおもむきさえありますが、修行が足りん私としては、去年の12月7日の記事のように、気付かれないのは、それはそれで辛いものです。 
 今朝、テレビで、たまたまダライ・ラマさんが、たとえ釈迦やキリストが現在に現れても、世界は救えないでしょうと仰ってた、極当たり前の事が印象的でした。
でも分身は千百億ですか…そこに希望を持ちますか…

(とすると「入鄽垂手」(にってんすいしゅ)は、分身千百億の弥勒の図とも言えますが…)

ダライ・ラマさんの思い出

08_4_12_記事 今週はダライ・ラマさんが来日されましたね。ふとそう言えば、まだ私のホームページがあった頃、ダライ・ラマさんの公演に偶然行けて、感想を書いたことあったと思い出したので当時のコラムを引用します。2006年11月の話ですけど、書いた自分ですら、忘れていたこともあり思い出せて良かったです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 先週、なんとダライ・ラマさんの講演会に行ってきました!もともとチケットを買ってまで聞きに行こうと思うタイプではなく、チケットを買った知人が急に行けなくなり、知人の中で私は第3候補くらいでしたが、第一、第二候補者も都合がつかず、私に「白羽の矢が当ってしまいました」 チケットを私に渡す知人曰く。「はじめからキミが行く予感がしてた…」ですって。何か責務のようなものを感じました。
 ダライ・ラマさんからイイお話を沢山聞きノートも付けましたが、全ては紹介できないので、印象に残った事を紹介すると。
 日本は、テクノロジーと仏教思想が混在しているので、そういった特殊な立場から世界に自信を持って発信するのがその役割であると仰っていました。このことは、この頃このコラムに頻出する鈴木大拙さんも仰っていますし、2006.8.12のコラムで名前を伏せていた台湾の巨人、李登輝さんも仰っていました。今年はこの3人の巨人に出会い自分の中では「東洋ルネサンス」です。
 ダライ・ラマさんも、クリスチャンである李登輝さんも「キリスト教や仏教の垣根を超えたもの」を強調されておられますし、「Talking with Angels-イタリアの天使達-」もキリスト教思想の像を撮っていながら、後書きで語っていることは、ほとんど東洋思想です。ダンテの『神曲』について語っていますが、極めて東洋的見地から語っています。それは、私なりの「垣根を超えたもの」の表現なのです。
 高校生の頃より、意味は解っていませんが、ニーチェから始まり、西洋のものを主に読んできたのですが、三十代ごろから東洋再発見で、今年は、東洋思想一色という印象でした。今頃になって、西洋哲学などよりも東洋哲学の方がよほど深くてすごいと実感します。ダライ・ラマさんも21世紀は「敬」を元にした「対話の世紀」にしましょうと仰っていました。ダライ・ラマさんのことは全然書き足りませんね、また後日に。
ーーーーーーーーーーーーーー
 ダライ・ラマさんは因果について英語で短く「Don`t care」と述べました。ダライ・ラマさんの出生自体が因果そのものなのに、あえて「Don`t care」と仰るところ、その覚悟するところ、すごくカッコイイと思いました。仏教者は、いや、人はこれでなくてはいけませんね。一生懸命生きていれば「Don`t care」であります…短く深い言葉だと思いました。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
 ここしばらく、ダライ・ラマさんの話題ばかりですが…。ダライ・ラマさんはその講演で、「赤ん坊を想像すれば解るが、我々は、人の世話や愛の手がないと、全く生存できない存在であり、これは理屈ではなく、肉体的事実として、赤ん坊の頃から体で知っていることであり、我々はそれゆえ隣人に、愛の心、やさしい心を分け与えなければなりません。」と仰っていました。

宗教について-3

 最近、宗教学者、文化人類学者の中沢新一さんの『宗教入門』を読みました。そこには簡潔に宗教についての、説明がありました。「人間は三次元の世界に生きているが、宗教的なものに人間が直面する瞬間、突然、この世界よりも大きな次元を持ったもの、巨大なポテンシャル(可能性、潜在性)を持ったものが、横切っていくのを体験する。07_10_6_記事それは三次元では理解できず、別の次元のものであるから、四次元的であり、その体験をもとにして、この世界とそこに生きることの意味を考えはじめる。それが宗教の最初の体験であろう。」というような意味の文です。
 この体験は、まさに私がロンドンの天使と初めて出会った体験と同じです。出会う前と出会った後、世界観が180度ガラッと変わってしまう瞬間はあります。それは、引用文にもあるよう「突然」であり「瞬間」でした。非常に写真的ですね。
 この写真は、ローマ、カンポヴェラーノ墓地。まるでルネサンスの宗教画のような場面に、出会わされてしまうと、私の意識もどこかへ飛んでしまいます。天使と私の共犯。

密教と西洋魔術

07_9_22_記事 この頃、密教関連の本をよく読んでいます。実は、今日のお昼頃、密教に関する記事を書いて公開しましたが、あまりに誤解を生みやすい内容だったので、公開してすぐ、削除しました。読まれた人も結構いるかもしれません…笑。密教は誤解を生みやすいから、安易に公表しないよう秘密の「密」という字を使います。私もちょっと安易だった気が…
 密教関連の本を読んでいると、20代の頃ハマって読んだ、西洋魔術の本と酷似していることに、驚きます。
でも考えてみるとインドから発祥したヨーガやタントラの思想が、一方は西へ伝播して異端となり、一方は東へ伝播して密教になっているんだと思います。

デスノートとアズラエル

 前々回の「天使の声」にちなみ、この写真の「天使の声」も紹介するつもりでしたが、写真集にその内容は紹介しましたし、本を持っている珍しい天使なので、デスノートのことを思い出し、そちらについて書いてみます。
 私は特にアニメ好きではないので、デスノートの事はほとんど知らないのですが、あのお話のモデルは、イスラム教の死の天使イズラーイール(ヘブライの伝説ではアズラエル)ではないかと思いました。(繰り返しますが、アニメおたくではないので、この事は、おたく間では、あたり前の事実かもしれませんが、私にとっては小さな発見だったので…) アズラエルは、手に大きな本を持っていて、そこに人間の名前を書くと、誕生をもたらし、消すと死んでしまうそうです。似てる。また、アダムを創るために必要な7つの「ほこり」を集められた唯一の天使として、魂を肉体から離れさせる力を得たそうな…07_9_20_記事
 ですから「死の天使」とも言われます。「死の天使」と言っても、怖いばかりではなく、手に本を持っていることから、天界から言葉を降ろす、インスピレーションや創造性と、とても縁の深い天使なんです。 
 これは、人は死から深いインスピレーションや、創造性を生み出す暗示でもあり、私もそのつもりで天使を撮っています。

 それにしても、この頃のアニメやゲームの、「魔術用語」の多いこと!例えば、このアズラエルと検索サイトで調べても、本家の天使が出てこずに、ゲームやアニメの記事ばかりで、びっくり!
 写真はシティーオブロンドンセメタリーの天使。


お知らせ
メインブログを アメーバに変更しました→
写真集
笑とる仏
『笑とる仏ー播磨の石棺仏を中心にー』   谷村新司さん推薦!    播磨の珍しい石棺仏を中心に、素朴な笑顔の石仏の写真集。700年近くもやさしく微笑み続けている石仏達を、さまざまな仏教名言と共に紹介する。この深い笑みはきっと心に響くと思います。巻末には地図もありますので、実際、仏様に会いに行くこともできます。勿論、関西限定書ではなく全国に通じる心の本です。 実質、私の4冊目の写真集。(読み:ワロトルホトケ)
Talking with Angels-ロンドンの天使達
「Talking with Angels-ロンドンの天使達-」 
鏡リュウジ氏の推薦文より
『天使、天使、天使!
この世界は、耳をすませれば天使の羽音に満ち満ちていて、うるさいくらい。たとえ一人でいたって、僕たちは孤独になんかなれっこないのです。この写真集はそのことを伝えてくれます。』 
 

Talking with Angels-イタリアの天使達
「Talking with Angels-イタリアの天使達」
   イタリア19世紀のみごとな墓地彫刻の写真集。
ダンテの『神曲』にならい「地獄」「煉獄」「天国」を彫刻を介し視覚で巡ることができる、美しい天使の本。
プロフィール

岩谷薫

Author:岩谷薫
カメラマン
1995 個展『身体感覚』
1998 個展『Angels of Brompton-祈りのすがた』
2005 写真集『Talking with Angelsーロンドンの天使達ー』
2006 写真集『Talking with Angelsーイタリアの天使達ー』
2008年 スピリチュアル雑誌『Sundari 』記事執筆
『yaso ヴィクトリアン』studio parabolica記事執筆
2009 デジタル印刷すらできない悪質出版社に捕まり、三冊目の天使の写真集が出版不能に。入校データまで全て完成している状態ですので、もし第三集の出版を御検討していただける出版社がございましたら、メールフォームからお気軽にメールしてみてください。第三集は最高傑作なのですが…。
2011 写真集『笑とる仏』実質、4作目の写真集。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
02 | 2024/03 | 04
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新記事
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR