霊と写真 ー 写真というメディア

現代の視点なら「ばかばかしい」と一笑されますが、はたしてそうでしょうか…?
私は、写真というメディアは霊や魂と非常に近いメディアだと思っています。例えばその証拠に人はよく遺影を飾ります。遺影に魂が写っていると認めているからです。心霊写真という言葉もあるように、何か得体の知れない魂が写ってしまうことだってあります。べつに怖がらせる意味でなく、我々が撮る普通の記念写真も元気な生霊を写した心霊写真とも言えるのです。写っているのは霊あるいは魂なのです。
必然、カメラマンは時としてシャーマンのような感覚で被写体と対します。私の天使の写真も死霊か生霊かの違いだけで、霊や魂としての美しさに変わりはないのです。そして天使像は死を通して、生霊ほど人の業にまみれていないので、とりわけ美しいと思うのです。
最近、私が撮った人の中で、亡くなった人がまた一人増えました。考えてみれば、カメラマンは始終、遺影を撮っているようなものです。レンズを通して私と対している過去の時間は間違いなく元気に笑っていたはずなのに、今は存在しない。この極めてあたりまえの不思議。このような経験をするたび、人は影だと思うのです。残りそうなのは魂だけかもしれません…。 いや、魂すらも無くなってかまいませんが…。
私が尊敬する映画監督のアンドレイ・タルコフスキーが『鏡』(だったと思うが…)という作品の中で「止まったものに生命はない」とか言う意味の台詞がありましたが、写真は正にその場で「フリーズ」、停止させるものだから、畢竟、死と近くなるものだと思うのです。
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