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弁慶の足跡の仁王像 三木市

弁慶_3
 この近辺では「弁慶の足跡」という名ばかりが有名で独り歩きしてしまい、その石についている足跡の後ろに石仏が刻まれているということを、知っている人は少ない石仏です…悲。

 さらに、その石仏に気付いた人でさえも、それを地蔵様と紹介してしまい、これも間違い。笑。今でも、ネットや出版物で地蔵と紹介しているケースをよく見かけますが、これは間違った市の案内板のせいでしょう…。

 本当は、この石像は仁王さんなんです。
 どうしてそう断言できるかというと、当時の古地図を発見したから。

 この場所は昔、天歴十年(956年)開基の常蓮寺というお寺がありました。日本史好きの人は、すぐにピンとくると思いますが、三木といえばあの秀吉の兵糧攻めで、有名です。

 常蓮寺は三木の統治者、別所氏の菩提寺ということで、三木合戦の折りに焼かれてしまいました。
 ファミリーツリーで言うと、墓は根であると、よく言われますが、正に、「根絶やし」の発想ですね。

 最近では、ビン・ラーディンさんや、カダフィーさんの死体の場所も解らなくしてるでしょ。あれもちょっと共通するものがありますね。

 で、その古地図には、立派な伽藍が描いてあって、その中に、この石像の仁王さんが描かれてあるんですよ。 しかも写真では上半身だけですが、古地図では全身像なんです。戦や近くを流れる美濃川の氾濫などで、半分になってしまったんでしょう。本当なら2メートル以上ありそうな巨像でした。

 室町時代の常蓮寺再興のことや、彫りの様子からも、室町時代の仁王さんでしょう。

 取材して気付きましたが、播磨には石作りの仁王さんって、ほとんど無いんですよ… 私が知っているのは、北条石仏だけ。年代的に言うと、絶対、「弁慶の足跡の仁王」さんの方が古いので、とっても珍しいものだと思うのですが…
 その存在すら、あまり知られていない、悲しい仁王さんです…笑。
(ちなみに、九州地方に仁王の石像は多いみたいですね。)

弁慶_2

 で、これが、何故、弁慶の足跡かというと、この石仏の後ろに、自然の足跡のような窪みがあるから…足跡と言うにはエラク、かかとが細いですが… この「弁慶の足跡」という名称も、実は昭和の初期に郷土史家が勝手に付けた愛称………エエエ…!
 全国にもよくありますよね、弘法大師のナンタラとか、行基のナンタラとか、弁慶のナンタラとか……。まぁ、それだけ人気があったってことなんでしょうが…笑。

 愛称が独り歩きしちゃったんですね…。しかも昭和って、新しいじゃん…。間違った市の案内板もそっちをメインに紹介しちゃってるところが、ちょっと悲しい…。こんな下らない石の窪みよりも、仁王さんの方が絶対貴重なのに…本末転倒…。弁慶_4

 「跡部」っていう地名も禍いしているのでしょう…でも「跡部」っていう地名も弁慶よりも前についていたんだよ。だから弁慶とは一切関係ナシ…。

 この仁王さんは、冬枯れたシーンが似合います。写真の奥の森になったような所が、常蓮寺の本堂があった場所です。奥に行くと、後年建てられた小さな薬師堂と、「常蓮」というように、昔は蓮池だったろう池が3つほどあります。

 なんだかこの風情は「強者どもが夢の跡」って感じがしていいです。三木合戦の折りは、ここは猛火に包まれていたんでしょうね…。 この仁王さんもその炎に照らされたことでしょう。

仁王さんの詳細なお顔は写真集で見てね。

弁慶_1

 この仏には飯田とう隠(「とう」という漢字がフォントに無いので。写真集にはちゃんと漢字表記したよ)さんのこの言葉を添えました。

●『只今をみよ。久遠が今となって来ているのじゃ。尽未来を知らんとせば今を見よ。今が伸びて行ったものが未来である。
五十六億七千万歳の弥勒も今のわれらが別名じゃ。』
             『槐安国語堤唱録』
 
 飯田とう隠さんは、カッチョイイ。東大医学部を次席で卒業しながらも、当時のコレラでの大量死を見て、医学だけでは根本的に人を救えないとして、医師として開業しながらも禅の道に進んだ人。

 『笑とる仏』の最後のシーンなので、初めの布袋さんの歌と呼応するようにしました。
 ちなみに市の案内板にある三草の戦いって、このリンクの上三草の近辺だと思う。
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『石仏の怪』 橋にまつわる石仏の話

 涙ドバー!!!!のすごい感動の日本昔話を紹介しようと、かねてから思っていたのですが、いざ、紹介しようと思ったら、ゴッソリとすっかり削除されていました…笑。
(一生懸命ブログでも書いた『九重の楓』東尋坊の昔話『あの世のいりぐち』は、置いといて欲しかったナ。笑)

 仕方ないですね…。でも、以前にも独り言書いたけど、昔話を語れる爺さんや婆さんがすっかり居なくなった昨今、こんな感じで、自由に見れる日本の心のアーカイブとして、手軽にあったらな…と、全く勝手な立場では思いますが。
 神話や民話でしか語れない真実もありますから…。

 『石仏の怪』この熊本県の昔話は、小谷石仏(よばりこき地蔵)、細川地蔵の逸話と同じなんですよ。


 てっきり、播磨地方だけの話かと思っていたら、やはりこうした霊験譚は、全国いろんなところで、まことしやかに語られていたんですね。
(仏を橋にするのは、おそらく三途の川をへだてて、彼岸と此岸を架け渡す、仏の信仰があったからではないかと思っています。ああ、橋と陰徳についてはこんな事も書いてましたね。お約束で動画削除されてますが…笑)

 人口に膾炙された逸話には「袖もぎ」の話もあります。

これは記事にも記したように、主に、中国、四国地方のお話ですが、「まんが日本昔ばなし」では、確か、茨城県の話だったと思う…削除されてて、解んない!笑。

 『石仏の怪』の石仏を見て、私は、見登姫の石仏を思い出しました。

 これは、よく石棺仏として紹介されることもありますが、私は違うと思っています。やっぱり領民に愛された為政者は、供養碑とか作ってもらえるんでしょうね。(確かに、橋には使い易そうな石材ですが…)
 こうした切ない死に方も、人生なんでしょう…。そうそう、日本昔話って悲劇が多いよね。そういうところも私は好き。人生そんな、甘かないし、スバラシイ、カタルシス効果になっています。

河高八幡神社の地蔵石棺仏 加東市

 所用があり、兵庫県加東市に行ってきました。加東市と言えば、『笑とる仏』では、「家原石棺仏」(これは大発見なんだけどなぁ…笑)や、「上三草の磨崖仏」や、
『笑とる仏』の102ページの「河高八幡神社の毘沙門天石棺仏」が、注目すべき石仏遺産でしょう。

 『笑とる仏』を出版した頃、市の職員さんと知り合いになり、その人から、今後の参考になればと、「加古川流域歴史文化遺産マップ」というものを頂きました。
 全国でもこの地域にしかない石棺仏や石棺を紹介した一枚のマップです。

 『笑とる仏』で播磨の石棺仏、9割近くは紹介したつもりですが、そのマップの中に一体だけ出会っていない石棺仏が…。「河高八幡神社の地蔵石棺仏」
 えっ!102ページの「河高八幡神社の毘沙門天石棺仏」のすぐ近所で、神社の参道にあるそうです。八幡神社へは取材に行きましたが、見付けられなかったなぁ………なので、ずっと気になっていた石棺仏でした。

河高八幡_1
 ロケというより、所用のついでだったので、携帯電話の写真です。笑。

 この石棺仏も、実は、見付けるの大変でしたヨ…。
 八幡神社の参道にあると聞いていたので、探してみましたが、やっぱり、ロケ当時のように無いんですよ!笑。

 しかたなく、聞き込みに…。幸い、神社は播磨中央公園という公園の中なので、ジョギングしてる人やウォーキングしている人は、ちらほら居ます。
 しかし、走っている地元の人に聞いても、全く、手ががりなんか掴めません…
 聞き込み4人目のウォーキングしているおばさんで、やっと見つかりましたよ。

 なんと、参道入り口、左側にもう一本道があり、そこの入り口に、写真のように少し仰向けで居ました。 灯台元暗しと言うか…けど、ジョギングコースからは丸見えなんですけどねぇ~笑

 いかに、石棺仏が、地元の人でも知らない、文化遺産かってことが解りますよ…。

 教えてくれたおばさんに、「これ、室町初期か南北朝時代のもので、石棺自体は1500年くらいは経ってますよ…。地蔵の両側に、縦の溝があるのは、組合わせ式石棺の側石をはめこむためのものです。全国でもこの地域にしか無いんですよ。」的なことを、ちょっと解説すると、
 「いつも見てるケド、そんなに古いものとは、知らなかったぁ…」と感心しきり…。手前の小さな箱に、お賽銭をいれて、両手を合わせて、ウォーキングされて行かれました。

 このお賽銭箱、そこそこ入っているんですよ。笑。写真でも解るように、しめ縄や、お花もキレイに生けてありますしね。
 ほとんど知られていませんが、ちゃんとお世話する人がいるんですね!神社の人かな?

河高八幡_2
 写真では解りづらいですが、肉眼で、よーく見ると、錫杖と宝寿を持っているのが解ります。

 赤いよだれかけは、私は撮影の時、必ず外すのですが、実はこの石棺仏の後ろは崖になっていて、足場が悪いので外せず、めくっちゃいました。笑。

 時間の風化で、どんなお顔をされているのかは、もう解りませんが、なんだかホットさせるものが、ありますよ!
 特に、ここしばらく、イタリアの重いシーンを紹介していたので余計かな。笑。
 スエーデンボルグは、高いアイオンに居る仏教徒は、光輝いて、まぶしくてお顔すら見えないと、何かの本に書いていたことを思いだしました。

 ちなみに、「加古川流域歴史文化遺産マップ」は大手前大学史学研究所が関わっています。大手前大学は石棺仏や古墳のこと、結構研究されてますよ。
 過去、こんな興味深い記事の情報ソースも大手前大学でした。

 あっ、そうそう、2月11日は河高八幡のお祭りです。神社の裏山の頂上で、厄年の男達がお金を撒くそうですよ。写真にある岩も御神体でしょう。ちなみにこの岩の下にカワイイ顔で102ページの毘沙門天の石棺仏がいます。

日日是好日

北条石仏
 クリスマスが終われば、現金なもので、世の中すぐ和のイメージになりますよね。
 今、暇さえあれば大掃除に夢中で、ちょっと更新がおっくうに。
 開かずの部屋状態だった約2部屋分を掃除しています。「キミ、引越するのか??」と自分で聞きたくなるくらいの膨大な物品を整理、廃棄しています。

 風水のこと、そこそこ詳しいくせして、どーも取りかかる気合いがなかったので、今回、掃除を断行して非常に気持ちがいい。家の便秘解消ですね。笑。や~と8割方終了。

 この一年を振り返り、本当のメインの目的は果たせずじまいで無念感もありますが、100点を求めても仕方がないので、まぁ、良しとすべきでしょう…

 『日日是好日』

 今日は、道に迷っている、見ず知らずのオバアちゃんを、車に乗せてあげて目的地まで連れていってあげましたヨ。『一日一善!』 なんか標語みたいな一日でした。笑。

 写真は加西市の北条石仏(コレとかコレね)の404体の中の一体。ちょっと悪ノリしているぐらいのニコニコ顔がかなりナイスだと思います。

毘沙門洞の毘沙門天石棺仏

毘沙門洞の毘沙門天
 仏のことも書かないとね…。加西市周遍寺の山奥にある、毘沙門洞というちょっとした洞窟にある毘沙門天です。
( 『笑とる仏』では版型の関係上、上下の岩が切れてしまいましたが、オリジナルはこんな感じで、上下の岩が放射状に毘沙門天の威光って感じしません?笑。毘沙門天の詳細な画像は写真集でみてね。)

 この石棺仏は数ある石棺仏の中でも、特に貴重で珍しく、よーく見ると、足の辺りに彩色の跡がはっきりと解ります(しま模様ね)。彫りはいたってまじめで、その様子から鎌倉時代の石棺仏である可能性がとても高いです。
 石棺仏は本来、その多くが彩色されていたらしいのですが、野ざらしが多く、現代では、その彩色跡が全く解らないのがほとんどです。
 そんな中、この毘沙門天は洞窟にあったため、比較的当時の彩色の様子が足などに残っている点はすごく珍しいと言えます。

 もう一つ、この石棺仏の珍しい点は毘沙門天像にあります。
 数ある石棺仏の中で、毘沙門天単体を彫った石棺仏は、これ以外、102ページの加東市、河高神社の石棺仏しか兵庫県下では確認されておらず、つまりほぼ全国で2体しか存在しないってことですね。彫りの様子や時代の古さから言うと、この石棺仏が一番でしょう。

毘沙門洞
 私が『笑とる仏』を作っている頃は、この石棺仏に関する資料がほとんど無かったのですが、最近はネット上に、鎌倉時代に書かれた『元亨釈書』という本に、法道仙人のもとに毘沙門天が現れた話などを見付けることができます。

 なるほど、そういう謂われもあるのかも知れませんね。ただ、毘沙門天(多聞天)は北方を守る仏神なので、法道仙人が降り立ったと言われる、一乗寺の東側にこの毘沙門洞が位置するのが少々、解せませんが…? まぁ、昔のこと故、真相は解りませんね。

 毘沙門天は、武運長久を願う神でもあるので、武士が作った可能性も高いです。
 ちなにみ武士が施主と考えられる石棺仏は、『笑とる仏』78ページの安養寺の石棺仏です。阿弥陀、毘沙門天、不動明王、の3体が彫られた、武士らしい特殊な並びの珍しいものです。不動明王も武士が信仰してましたからね。

毘沙門洞の道

 私は周遍寺からこの洞窟へ行く方法しか知らないのですが、周遍寺の裏山から壊れそうな「毘沙門洞」という立て看板だけをたよりに、こんな山路をひたすら20~30分トレッキングしました。ちょっと険しい道なので、正に「行」って感じですヨ。山路も人生と同じだなーとブツブツ思いながら歩いていましたよ…笑。(これは携帯電話の写真ね…)
 この山路はどうやら一乗寺に繋がっているらしく、法道仙人が、この毘沙門洞で休憩したとか…。こんな山に埋もれそうな道にも、永い歴史があるんですねぇ…。
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写真集
笑とる仏
『笑とる仏ー播磨の石棺仏を中心にー』   谷村新司さん推薦!    播磨の珍しい石棺仏を中心に、素朴な笑顔の石仏の写真集。700年近くもやさしく微笑み続けている石仏達を、さまざまな仏教名言と共に紹介する。この深い笑みはきっと心に響くと思います。巻末には地図もありますので、実際、仏様に会いに行くこともできます。勿論、関西限定書ではなく全国に通じる心の本です。 実質、私の4冊目の写真集。(読み:ワロトルホトケ)
Talking with Angels-ロンドンの天使達
「Talking with Angels-ロンドンの天使達-」 
鏡リュウジ氏の推薦文より
『天使、天使、天使!
この世界は、耳をすませれば天使の羽音に満ち満ちていて、うるさいくらい。たとえ一人でいたって、僕たちは孤独になんかなれっこないのです。この写真集はそのことを伝えてくれます。』 
 

Talking with Angels-イタリアの天使達
「Talking with Angels-イタリアの天使達」
   イタリア19世紀のみごとな墓地彫刻の写真集。
ダンテの『神曲』にならい「地獄」「煉獄」「天国」を彫刻を介し視覚で巡ることができる、美しい天使の本。
プロフィール

岩谷薫

Author:岩谷薫
カメラマン
1995 個展『身体感覚』
1998 個展『Angels of Brompton-祈りのすがた』
2005 写真集『Talking with Angelsーロンドンの天使達ー』
2006 写真集『Talking with Angelsーイタリアの天使達ー』
2008年 スピリチュアル雑誌『Sundari 』記事執筆
『yaso ヴィクトリアン』studio parabolica記事執筆
2009 デジタル印刷すらできない悪質出版社に捕まり、三冊目の天使の写真集が出版不能に。入校データまで全て完成している状態ですので、もし第三集の出版を御検討していただける出版社がございましたら、メールフォームからお気軽にメールしてみてください。第三集は最高傑作なのですが…。
2011 写真集『笑とる仏』実質、4作目の写真集。

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